RedHatなどの商用のdistributionに対して、より完全なパッケージ
管理を目指し、ボランティアによる完璧なディストリビューションを指向して
いるシステムがある。1993年に開発が始まったDebianである。Debianは、各パッ
ケージの各バージョン間の依存関係や競合関係を管理することで、一回インス
トールしたら、後は必要に応じて個別パッケージ単位で逐次的にバージョ
ンアップできる
仕組みを実現している。
Debianによって完全な意味でopen-sourceによるOSが登場したと言える。
Debianではパッケージをライセンス条件によって3つのカテゴリーに分類して
いる。一つ目は後述のDFSG (第C.1節参照) と
いう基準に合致したもの
で、mainと呼んでいる。二つ目はライセンス条件がDFSGに合致しないもの
で、non-freeと呼んでいる。三つ目は、それ自身はDFSGに合致するライセンス
条件にも関わらず、実行するためにnon-freeに分類されるパッケージやソース
コードの公開されていないソフトウェアやデーター等に依存しているもの
で、contribと呼んでいる。
DebianではDFSGに合致しているかいないかを非常に厳密に判断しており、公式 にはmainのみがDebianである。しかし実用的に重要なopen-officeなどが non-freeになっており、原理主義者的なStallmanならばmainだけを使って後は 無しで済ませるところだろうが、実際にはnon-free、contribも使わざるを得 ない。現状はnon-free、contribもDebianのサーバーからダウンロードができ るようになっているが、これを潔 (いさぎよ) しとしない意見もあり、この点 はDebianでも常に議論されている。DFSGはDebian Free Software Guidelineの 略で、あるソフトウェアがopen-sourceかどうかを判断する基準である。これ が後にopen-sourceの定義 (第C.2節参照) に なった。
「Debian GNU/Linux」のように名前に「GNU」の3文字が入っている経緯は open-sourceでの開発者のモチベーションを理解する上で重要な点なので、こ こで触れておく。開発者は「そこに計算機があるから」という理由でコーディ ングするのである。それ自身が楽しいことなのである。自分も他人の成果を使っ てよりよい物を作るが、他人もまた自分の成果を使ってよりよい物を作ってく れればいい、但し、である。但し、お互いにそれが誰の成果をベースにしてい るのかは、明確に示してもらいたいわけである。
英米法では、文化活動を増進するために、人為的な規制によって一定の利潤を 著作者にもたらす目的で著作権を制定している。一方日本を含む大陸法では、 著作権はもともと原始的に存在した自然権ととらえている。これが著作人格権 の概念の根拠になっている。英米法では著作人格権という概念はなく、財産権 としての著作権の概念だけが存在する。Open-sourceにするということは、財 産権として著作権主張しないということであって、著作人格権の一つ、氏名表 示権を放棄しているわけではない。Stallmanは、ほとんどのLinuxベースのOS がカーネル以外の重要部分にGNUの成果を使っているのだから、Linuxではなく GNU/Linuxと表示すべきだ、と主張した。これは著作人格権の概念に照らして 考えれば極めて当然の主張である。Debian LinuxではなくDebian GNU/Linuxと 名乗っているのは、重要部分を開発したGNUへの敬意を表している故である。